BACK TO THE RUINS -epilogue-
調査を終えた隊員たちとともに、近くの海岸で休憩をとる。
ようやくリラックスできる。
ほんの数時間の間に色々な出来事があったが、今は余韻を楽しんでいる。
後日判明したことだが、俺達が調査した海岸線周辺は戦時中、特攻基地が点在し、特攻艇「震洋」が配備されていたそうだ。
震洋とは?
http://www.edu.nagasaki-u.ac.jp/~fukuda/report/sinyo/syurui.htm
「震洋」は、海軍において、水上特攻兵器として採用された唯一のものであった。海軍部内では「マルヨン」、④兵器と呼ばれていた。乗員一名の一型と、乗員二名の五型があった。(上の写真は一型。)この特攻艇は、艇首に250㎏の爆装をし、自動車エンジン(トヨタ自動車八十馬力の中古エンジン一基)を搭載した木造合板型(ベニヤ板)の高速ボートで、敵の揚陸部隊が上陸点に進入する前後に、夜暗に乗じ集団をもって奇襲し、体当たり攻撃により船舶を撃沈するものであった。震洋の構造上の利点は、水上を走行する時は、木製の方が軽くて良い。木といっても、ベニヤがよく、それを重ね合わせることにより強度が増す。当時から、世界でも使用されていたほど。水上特攻艇は、飛行機を断念、必死の志願をした者に与えられた、「必殺の兵器」だったのである。「震洋」という名称は、明治維新の軍艦の名から採用した。また一説には、「敵艦を撃沈して太平洋を震撼させる」という意味があるそうだ。
---この特攻艇は、艇首に250㎏の爆装をし---
---必死の志願をした者に与えられた、「必殺の兵器」---
我々が調査した火薬庫に貯蔵されていたであろう火薬は、「震洋」に搭載され、カミカゼとなって太平洋に消えていったのだろうか・・・?
戦時中、60年前の出来事・・・ここは狂気の舞台だったのだろうか・・・?
答えは、当時と変わらぬ海だけが知っているのかも知れない。
波の音は穏やかだった。
BACK TO THE RUINS -END-