BACK TO THE PARADISE - prologue -

fj_saf12006-06-24



最近全然更新してない当ブログだが、ここで一発長編スタート。
前作「BACK TO THE RUINS」に続く、おれ自身のオナ○ー企画。
その名も「BACK TO THE PARADISE」。

introduction

またまた廃墟へ向かう訳だが、今回突入した物件への思い入れは計り知れない。
幼稚園の遠足から始まり、小学校でも遠足、そして写生会。
加えて、成人式の2次会。その他、プライベートで多数。
現役当時に幾度も訪れたテーマパーク「○○ ○○○○○」(一応伏せておきます。以降「楽園」と書きます。)は、俺の
青春の1ページ、いや、数十ページを占める、思い出の詰まった場所だ。


その「楽園」は、自然に形成された海と山の狭間に位置し、沢山の野鳥や動物が飼育され、大人から子供まで楽しめる
テーマパークだった。
しかし、汚い東京湾埋立地に人工鼠を飼育する施設が出来た頃からだろうか、「楽園」の入場者数は激減。
経営難から、惜しまれつつも5年前に37年間の幕を閉じた。

「楽園」について

「楽園」について、もうすこし詳しく紹介しなければならないだろう。
「楽園」の一番の見所はフラミンゴショー。ワルツやサンバのリズムに合わせてフラミンゴが行進する催しものだ。
閉園後に知った話で自分が一番驚いたのは、施設が現役だった37年の間、フラミンゴの入れ替え等は一切行われていということだ。
(フラミンゴは50年位生きるらしい)
つまり、開園当時のフラミンゴが、37年もの間に渡り、あのか細い足で数万回のショーを演じていたのである。
そしてフラミンゴは別の施設に引き取られ、、今でもショーを演じ続けているらしい。頭が下がる話だ。
その他にもホロホロ鳥クジャクの飛行ショー、多種のオウムや猿、アシカやシマウマなども飼育していて人気があった。
熱帯樹も多数植えつけられており「楽園」を彩っていた。


ここまでの通り、いい所ばかりを切り取って語ればキリがないが、当然、そうでない所もある。
閉園した今では色々なことが美化されがちだが、現役当時のマイナス面についても触れておくべきだろう。
例えば、イベントがマンネリ化していたり、施設が老朽化していたり、ホテルの施設やサービスが
最悪だったり、食事と値段のバランスがイマイチだったりした。
今更何を言っても始まらないが、施設自体の改善や、興行の改善、広報活動などの営業努力をもっとしていれば、別の結果が
生まれていたかもしれない。
まぁ部外者の自分が何を言っても仕方がない。
5年前に閉園。今では、この事実が結果として残っているだけだ。

俺と「楽園」

自分にとっては写生会が一番の思い出だ。
写生会当日は現地で鉛筆で下書きをして、後日、学校の教室で絵の具で色を塗るという工程。
オウムの下書きをしたのはいいけれど、どの部分が何色だったかを忘れて、オリジナルカラーのオウムを描いたのが印象に残っている。
確か、ナマケモノとオウムで迷ったのだが、ナマケモノは白・黒・灰色でだけで描けてしまうので、カラフルなオウムを選んだのを憶えている。


その次は巨大すべり台だ。
高さ10メートル程のすべり台。
遠足で、高学年の人たちが巨大すべり台の一番上から滑り降りていたが、自分は怖くてなかなか滑ることができなかった。
思い切って滑り降りたのはいいが、肘に大きな摩擦火傷を負い、泣いたのを憶えている。


それから、バーベキュー。バーベキューしながら、特撮戦隊モノのステージを見る。これが怖かった。
会場にいる小さい子供は悪役にさらわれて、ステージに連れさられ、
「ドンとなった花火が綺麗だな〜空いっぱいに広がって〜」の曲に合わせ、妙なフリつけを強制され、辱めを受ける。
これが嫌で俺は必死でバーベキューコンロに隠れたのだ。


懐かしすぎる思い出。
なんだか、書いてるだけでディスプレイが滲んでくる・・・<<つづく>>